2017年8月13日日曜日

北京~ウランバートル 国際列車27時間の旅(4)

(3)から続く

ガラス越しで見えずらいですが、6両分の車両が
待機しています
車輪が車両の下に来たのでしょう。車両が下がり始めました。窓の下には作業員の姿が見えます。新しい車輪を付けているのでしょう。それが終わっても、終わりではありません。全車両、同じ作業をするので、それだけの時間がかかります。

 いくら何でも、16両を同時にできるほどの作業員はいないでしょう。1番最初に作業した1号車は、終わったあと、長く待たないとなりません。逆に最後尾は、作業開始まで時間がかかるわけですね。

 もう深夜12時を回っています。子供はもう寝ました。私は、せっかくの機会だから、起きて作業を見守りました。そうこうするうちに、尿意をもよおしました。この車庫に入る前、車掌が来てトイレに鍵をかけたので、今、トイレは使えません。

窓の下には作業員の姿が見えました。車輪が
外れないようにしっかりつけてね
こちらのトイレは垂れ流しなので、車両の付け替え時にトイレは使えないことは知っていました。「便器の底がパカッと空いて地面が見えた」という記述のブログもありました(私が小学校の頃のローカル線は、そうでしたよ。ローカル線でなくとも、新潟から上野行きの急行「佐渡」に乗ると、赤羽から先はトイレ禁止なんです。線路脇に住宅が多くなるからです)。ですから、家族には直前にトイレに行くように言っておきました。

 この車両は水洗トイレなので、今は大丈夫かな、と思いましたが、そうではありませんでした。水で流して濾過しても、その水を車両のどこかからその場で捨てているのでしょうか。いずれにしても、元のホームに戻らない限り、トイレが使えないのです。

 
トイレが近い人は必ず持って
行きましょう!
「いつまでかな」と意識すればするほど、尿意が強くなってきます。このあたりは、けっこう神経質なんです。万が一のため、防災用品の「固めるトイレ」を持ってきていましたので、それを使えばいい、という気持ちはありました。妻と子供は寝ているし。トイレの近い人で、この路線に乗る人は必需品です。

 しばらくすると、4号車があった側に機関車が連結されました。少しずつ動いて、ガチャコン、ガチャコンとの振動が何度か続きました。5~10号車がつながったのかな? すると、ホームのある側ではなく、反対側に行くのです。 ???? 

 ある程度まで行くと、今度は戻ってきて、隣の(3番目の)線に入り、連結したみたいです。そのあと再び、今来た側(つまりホームと反対側)に行きます。かなり行ったあと、また戻り、今度は別の線を通り、車両基地の横を通り、ある程度の場所に停まりました。

 この場面で5~16号車がそろっているみたいです。すると機関車が切り離され、来た方向へ戻っていきます。しばらくすると電源車と1~4号車の最初のグループがやってきて、連結されました。これでやっと元通りになりました。

 なぜ、来た道をそのまま帰れないのでしょうか? 来た時とまったく逆をやればいいじゃないか、と思いました。

やっと二連のホームへ戻ってきました
車両基地の方面を見て理解できました。来たところに元の車輪が置いてあり、そこを通ることができないのです。ですから、まったく別な線路を通ってホームに戻る必要があるんです。行ったり来たりしなければならないわけです。

 そうして、やっとホームに戻ってきました。この駅に到着してから2時間半くらい。乗っていた車両の車輪付け替えが終わってからも、ゆうに1時間以上がたっていました。時間はもう深夜1時近く。車掌の手によってドアが開けられると、駅舎から何人かの人がやって来ました。ここから乗る人は、到着した3時間前に乗る必要はないわけですよね。

 車掌に頼んでトイレを開けてもらい、用を足してやっとベッドに入りました。出発予定時刻をかなりすぎていましたが、まだ動きませんでした。しかし、しばらくすると、外から鍵を開ける音がしてドアが開きます。車掌です。ノックもせず、いきないりです。日本では、ちょっと考えられないですね。

深夜の二連のホーム。日本にはない「国境の駅」です
夜になる前に預けたパスポートが帰ってきたのです。よかったと思い、睡魔に引き込まれましたが、寝入った頃、また鍵が回される音がしてドアが開きます。やはりノックもなし。今度はモンゴル人らしい女性の車掌。モンゴル最初の駅に着いたのでしょう。

 車掌は、ベッドを上げろ、とのゼスチャア。何のことか分からず、何をすればないいの? という表情をすると、子供が寝ていたことに気づき、「ま、いいか」という表情になりました。

 でも、中に入ってきてトイレの中を見ます。あとで分かったのですが、ベッドを上げると、そこに荷物が入るスペースがあったのです。つまり、国境を超える時の荷物チェックだったのです。そして、パスポートを持って行きました。ま、必ず帰ってくるだろう、と思い、そのまま寝ました。もう深夜2時をすぎていました。

車両基地へ行く時には何人かが起きていましたが、ホーム
戻った時には誰もいなくなっていた通路
(4)に続く




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